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G-11  その手に星の砂を

 乾いた風が音を立てて通りすぎた。それに混じってどこからか獣のうなる声が聞こえてくる。
「あー最悪」
 シイトは石を蹴り上げた。空中へと放られた哀れな石は、落下してもなお勢いを失わずでこぼこの道を転がっていく。道の周りにはまばらな木々と枯れかけた草しか生えていなかった。滅びかけた世界を象徴する光景だ。
「あいつ、魚の数ちょろまかしやがった。たった五匹じゃもたないっての」
 肩からさげたぼろぼろのカバンをシイトは見下ろした。行きは様々な野菜を溢れんばかり持っていったというのに、帰りはささやかな小麦と魚だけだ。大損である。
「ばあちゃん怒るかなあ」
 俯きながらシイトは歩く。ここは吹きさらしだから、そうしなければ目に砂が入るのだ。黒い髪も土煙で汚れているだろうが、それは仕方なかった。大事な食料が無事なら問題ない。
 風の泣き声が、不意に止んだ。目を丸くしてシイトは顔を上げた。
 同じ風景が続くはずの道の先に、何かがある。茶色と緑しかないはずの世界にかすかに別の色が混じっていた。いつか一度だけ見た海のような深い青。シイトは目を凝らしながら恐る恐る近づいていった。
 それが人だと気づいたのは、青い何かが服だとわかった時だった。ただの服ではない、おとぎ話で聞くドレスの様なものだ。髪は見事な金色で、風に吹かれて揺れている。けれども後ろ姿のため顔はわからなかった。背格好から女なのは間違いないが。
 こんな服がこの世界にもちゃんとあるんだ。
 シイトは驚愕に息を呑んだ。彼の知る人は誰もがぼろ切れをまとっていた。土汚れが染みついたせいか、皆似たような色である。
 あれは俺らとは違う、金持ちだ。
 シイトは顔をほころばせた。彼女は先ほどからその場を全く動いていない。ということは何かあったのだろう。助けたらひょっとしてお礼がもらえるかもと思うと、弾む心を抑えるのは難しかった。
「な、何かお困りですか?」
 傍まで近づくとシイトは慣れない口調でそう問いかけた。それまで全く気配に気づかなかったのか、慌てて彼女は振り返る。
 綺麗な少女だった。
 そうとしかシイトには表現できなかった。白い肌に映えるような深みのある青い服。汚れなど知らぬような艶やかな髪。青い瞳は揺れながらシイトを真っ直ぐ見つめている。年は同じか少し下なくらいで、たぶん十三、四だろう。
「足をくじいちゃって」
 ささやくように少女は言った。確かにこの辺りは道が悪くて足を取られやすい。歩き慣れたものでなければ大変だろう。
「全く歩けない……んですか?」
 シイトは膝をついた。目の高さを合わせれば、少女が泣きそうなのがわかる。女の子を泣かせると大変だという死んだ祖父の言葉が頭をよぎった。しかもいかにもか弱そうな少女だ。悲しそうにうなずくのを見るだけで、放っておけないという気持ちが強くなる。
「じゃあ家までおぶってく、じゃない、いきますよ」
 ぞんざいな口調に戻りかけて、シイトはぶんぶんと首を振った。すると少女がかすかに破顔して、小さな唇が動く。
「普通に喋っていいよ? 私もそうするし」
「そ、そう?」
「うん、その方が嬉しい。私はアイラ、あなたは?」
「俺はシイト」
 彼女の名前をシイトは胸中で繰り返した。あまり聞き馴染みのない音だ。けれどもそれが彼女にはよく合っている気がする。
「方向はこっちでいいんだよな?」
「うん、本当にありがとう」
 彼女を背負ってシイトはゆっくりと歩き出した。冷たい風の中、その体温が心地よかった。




 ずいぶん遠くまで来たものだと、シイトは苦笑した。彼の家からはかなり距離があるし、よく物売りに行く方向とも真逆だ。
 先ほどからアイラは黙りこくったままだった。その理由をシイトは知っていた。
 家出中だったらしい。ここに来るまで話をしていて、彼女ははずみでそう口にした。詳しい理由は言わなかったが、家出したのに足をくじいて戻ってきたのでは収まりが悪いのだろう。大したお金を持たず準備もせず出てきた彼女も、どうかとは思うが。
「家って、まさか」
「そう、あそこ」
 荒野と呼ぶに相応しい大地の中には、巨大なの家が一軒建っていた。シイトの知る家というものとは大分違った。白い壁に土汚れのない赤い屋根は、この距離でも十分目立っている。家の周りには囲いがあって、その中だけは周囲とは別世界を作り出していた。庭は手入れされているようだし、池らしきものまである。ただ雨と風をしのげばいいというものではないのだ。
「人、たくさん出入りしてるでしょう?」
 彼女の問いかけにシイトはうなずいた。この距離でも人が行き来しているのがすぐにわかる。
「アイラのこと探してるのか?」
「違うわ、だって今朝出てきたばかりだもの。みんな宇宙へ行くための準備で忙しいの」
 さらりと言い切る彼女に、シイトは何も言い返せなかった。驚きというよりとにかく頭の中が空っぽになって、自然に足は止まっていた。宇宙という単語が右から左へと、何度も何度も通り過ぎていく。
「アイラは、宇宙へ行くのか?」
 やっと喉元を通り過ぎたのはそんな言葉だった。でも背中からはうなずく気配がない。シイトは怪訝そうに首をひねって後ろを見ようとする。
「お父様やお母様は行くつもり。これを逃したらもう二度と機会はやってこないから」
「そりゃそうだ。だってこの星にある宇宙船は――」
「そう、あと一つだけ」
 二人の声が途切れて、風の泣き声だけが辺りを満たした。それ以上どう話を続ければいいのかシイトにはわからなかった。
 貧しいだけの、資源も何もかもがないこの星を出ていく者は今までもいた。大概は金持ちで、大金はたいて買っていくのだと聞いていた。この星に新たな宇宙船を造るだけの技術はもちろん、資源もお金もない。残された宇宙船だけがこの星を出る最後の手段だった。
「私は、本当は行きたくないの」
 かすれるぐらいの小さな声でアイラは言った。シイトは目だけで彼女の方を見ようとする。
「行きたくないって、じゃあどうしてそう言わないんだよ」
「だってそんなこと言ったらお母様やお父様困るもの。二人だけは困らせたくないの」
 歩き出すこともできずにシイトは真っ直ぐ家を見た。きっと中にはたくさんの人がいて、美味しい料理が出るのだろう。だけど彼らはそれを捨てるのだという。
「私はね、あそこでは物なの」
「物?」
「綺麗なお人形。もしくはブローニ家の娘。あの家に来る人たちはお金のことしか考えてないの。私のことをアイラだと思ってくれるのは、お父様やお母様だけ」
 胸の奥に何かが突き刺さった。アイラを助けようと思った時、自分は何を考えただろうか。思い出せばさらに胸が痛くなり、息が苦しくなる。
 アイラがお金持ちじゃなければ俺は助けなかったか? 立派な服を着てなければ助けなかったか?
 自問しても答えは返ってはこない。それはシイト自身にもわからなかった。
「さあ、行きましょう。家出っていってもちょっと反抗してみたかっただけなの。見知らぬ土地に行くのが怖くて、だから拗ねてみただけなの。でも二人を困らせたくないから戻らなくちゃ。あ、もちろんシイトにはお礼するからね」
 お礼という言葉が心を重くしたが、それでもシイトは歩き出した。進みながらも答えをずっと探し続けていた。
 アイラの家は予想した以上に立派だった。門からして違うし、あちらこちらにある窓も扉も豪華その物だった。決して華美すぎない木の枠には、よく見ればわかる程度に花が彫られている。扉の窓にも同じような花が色とりどりのガラスで描いてあった。
 ブローニだもんな。
 口には出さずにシイトはこっそり唇の端をあげる。その名前なら聞いたことがあった。この辺りでは有名な資産家で、彼らとは縁遠い世界の住人だった。その家に今足を踏み入れていると思うと、不思議な気分になる。
 通りかかった使用人らしき女性にアイラは声をかけた。そして家出を散歩にそっくり変えて事情を説明した。女性は慌てて奥の方へと駆けていく。その背中をぼんやりと二人は見送った。
「きっとご馳走出てくるよ」
「ご馳走?」
「楽しみにしててね。忙しいからそんなに豪華じゃないとは思うんだけど」
 いたずらする子どものようにアイラは微笑んだ。シイトは首を傾げながら、もう一度使用人の消えていった方を見やる。
 二人が通されたのは入り口すぐ側の大きな部屋だった。白い壁に白い天井、ふかふかのソファに金の飾りがついた棚。壁には風景画が、床には深紅の絨毯が敷かれている。
「ここは客間なの。すごいでしょう? たぶんこの家で一番立派な部屋よ」
 シイトは何度も首を縦に振った。ソファに下ろされたアイラは、そんな彼を笑いながら見上げている。 まるで別世界だ。
 何度目かの台詞をシイトは内心でつぶやいた。それでも胸の奥に刺さった小さな棘は、まだ抜けていない。
 すぐに料理は運ばれてきた。先ほど見かけた使用人が次々と皿を運んでくる。その皿自体も珍しかったが、上にのっている料理もシイトの理解の範疇を越えていた。
「こ、こんなに肉食っていいの? あ、魚も肉も一緒に出てきてる。すっげー」
「もちろん全部シイトのよ。もう腕を振るえない料理人さんたちが作ったんだから、いっぱい食べてね」
 料理に夢中になっていたシイトは、彼女の声音が変わったのに気づき顔を上げた。青い瞳は揺れていて、唇はかすかに震えている。
「宇宙へ行ったらみんなお別れだもの。媚びてくる人たちもいないけど、ずっとお世話してくれた人たちや慣れ親しんだこの家ともさよならなの」
「やっぱり全員つれていけないのか?」
「十人乗れればいい方だからね。この星には、その程度の宇宙船しか残ってないから」
 他の星はもっと裕福だという。宇宙船が行き交って、物や人を運んでいるという。でもその輪から取り残されたこの星は、もうずっと孤独のままだ。
「あ、忘れないうちにお礼渡さないと」
「まだあるのか?」
「これ」
 アイラが差し出したのは黄色い紙袋だった。それがお金を入れる袋だということは、シイトも知識としては知っている。手でそれを押し返すとアイラは目を見開いた。
「いいってこんなの」
「だってずっとおぶってもらったし」
「十分お礼はもらったって。あのな、そうやってすぐお金渡そうとするの止めた方がいいよ。だから余計にブローニの娘って印象強くなるんだ」
 紙袋を抱きしめるようにしてアイラは黙り込んだ。まずい気配を感じ取って、シイトは慌てて話題を探す。
「そう言えば、いつこの星を出るんだ?」
 問いかけるとアイラは泣きそうな瞳を向けてきた。どきりとしたけれど気づかないふりをして、促すように小首を傾げる。
「出発は明々後日。あ、あのね、明後日会える? お金の代わりに渡したいものがあるの」
 彼女の申し出にシイトは何度か瞬きをした。ただ背負って家へ連れていっただけで、これほどよくしてくれるとは思ってもみなかった。
「渡したい物って?」
「内緒。同い年くらいの人と話したことないから嬉しくって。だから私からも何かお礼がしたいの。ブローニ家としてじゃあなくてね」
 アイラが微笑むので、つられるようにしてシイトも破顔した。彼女が少しでも元気になれるのならそれでいいと思えた。彼女が泣かないでいてくれるなら。
「俺はいつでも暇だから。でも歩けるのか?」
「明後日ならちょっとくらいは。日が昇る頃、門の前で待ってて」
 そう告げてアイラは右手の小指を出してきた。それはおとぎ話に時折出てくる、約束の仕草だ。
「じゃあ明後日にな」
 結ばれた小指が頼りなく上下する。二人は顔を見合わせて微笑みあった。うんと小さな子どもの頃に戻った気がした。




 荒野の朝は寒い。冷える手のひらをあわせながらシイトは黙々と歩き続けた。足場の悪い道の中を行けども、心は沈んでいない。
「シイト!」
 門まであと少しというところで声が聞こえた。頭をもたげれば、大きな門の陰から金色の髪がちらちらと顔を出している。
「アイラっ」
 シイトは走った。歩けるようにはなったものの、アイラの足はそれほどよくなってないらしい。よたよたと門に手をつく彼女へ彼は駆け寄った。
「無茶しなくていいのに」
「平気よ。みんな忙しいから無理矢理連れ戻されたりしないしね」
「じゃなきゃ連れ戻されるんだ」
「もちろん、みんな心配性だから」
 アイラに落ち込んだような様子はなかった。シイトはほっとしながら彼女と自分の格好とを見比べる。少しは考えていてくれてるのか、茶色い布地のドレスにはほとんど装飾がなかった。それでもみすぼらしい格好とでは差は歴然だが。
「本当に来てくれたのね、嬉しい」
「当たり前だろ? プレゼントくれるっていうのにすっぽかす奴がいるかよ」
 ふざけた調子で答えればアイラは笑ってくれた。それがシイトには何に勝らんとも嬉しかった。泣きそうな顔は見たくない。
「じゃあ忘れないうちに渡しておくね。はい、手を出して」
「はい、お嬢様」
 アイラは微苦笑を浮かべながら彼の手に何かを握らせた。その硬い感触にシイトは訝しげな顔をする。見てもいいよと言うので恐る恐る手を開いてみると、そこには金色の飾りが載せられていた。透明な石がちりばめてある、いかにも高そうな代物だ。
「ア、アイラこれって」
「髪飾り。お母様が壊したのを私がもらったの。捨てられるところだったんだから。壊れたままじゃかわいそうだから、拾ったガラスをはめ込んだの。だからほら、よーく見るといびつな形してるでしょう?」
 いたずらっぽく言う彼女にあわせて、シイトは髪飾りを覗き込むようにした。確かに、よく見てみればはめ込まれた透明な石は様々な形をしている。
「世界でたった一つの髪飾り。もちろんもらってくれるよね?」
「もちろんさ。いざというとき高く売れそうだし」
「シイト! これは私がここにいた証なんだからっ」
 眉を寄せて怒るアイラを、笑いながらシイトは見つめた。冗談だよ、と付け加えて彼女の手を有無を言わさず握る。
「シイト?」
「これは俺からのプレゼント。ずっと考えてたんだけどいいもの浮かばなくてさ。こんな物しか渡せないけど」
 それをアイラの手に握らせると、見ていいの、と瞳で問いかけてきた。うなずけば彼女はそっと手のひらを開く。
「これって……」
 それは手で握れる程の小さな瓶だった。中には白っぽい砂がぎっちり詰まっている。
「俺の家の周りにある砂。詳しいことはわかんないけど、星によってこういうのって成分違うんだろ? アイラがここにいた証になるかなあと思って」
「ありがとう」
 アイラはそれを胸元に引き寄せると、抱きしめるようにしてそう言った。声は震えていて、よく見れば瞳は濡れていて、シイトはぎょっとして手をばたばたとさせる。
「な、何で泣くんだよっ」
「だって、すごく嬉しかったから」
「プレゼントなんていっぱいもらってるだろ?」
「それはブローニの娘。だからすごく嬉しいの。これ持って私、頑張るね。知らない星で、アイラとして頑張る」
 アイラは何度も何度も首を縦に振った。シイトの目の前で金色の髪が上下する。
「おう、じゃあ俺も頑張ってみる。貧乏でも正直に」
「うん、一緒に頑張ろう」
 涙をぬぐうようにしてアイラはもう一度うなずいた。そんな彼女の頭を撫でながら、シイトは胸の中でこっそりつぶやく。
 俺はたぶん助けてた。アイラが立派な服着てなくても、ぼろぼろの格好してても助けてた。だってこんな女の子に泣かれたら大変だもんな。やっぱりじいちゃんの言うことは正しかった。
「ああ、一緒に頑張ろうな」
 シイトはもう一度その言葉を繰り返した。




 次の日、珍しい雲がかかった。薄水色の空を細長い雲が伸びていき、その先がどこまで続くのか皆が噂している。
「宇宙までだよ」
 ぼろ切れをまとった人々の中で、シイトはつぶやいた。
 その手には金色の髪飾りが握られていた。


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