index  掲示板
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック





H-08  星の実

 夜、空は星達がひしめきあって騒がしい。おしあいへしあい瞬く中で、こぼれ落ちた星々が森の上へと降り注がれる。星はウサギよりも臆病なので、森に落ちるなり木の実の中に姿を隠してしまう。母から子へ、あるいは祖母から孫へ、星が宿る木の実の話はティエリーが生まれ育った村で語り継がれてきた。だから村では山や森が色づく頃になると、小さな子供たちが決まって星の実探しをしようと囁きはじめる。
 ほら、こんなに集まったよ。これだけあれば、ひとつくらい星の実があるんじゃない? 星、出てきたらいいね。今日も村のどこかから、こんな子供達の声が聞こえてくる。遠く遠く、聞こえてくる。ティエリーは野良仕事の手を休め、額に浮き出た汗を袖でひとぬぐいした。
 今年の収穫はどうにか予定通りに行きそうだ。ほっと一息つくと、苦しかった二年前のことが思い出された。前領主だった伯爵が死に、跡を継いだブランドンという男がどうしようもない放蕩息子だったのだ。華やかな都会で賭け事に明け暮れていたブランドンは、村に帰ってくるなり無計画にも新種の芋に手を出したのである。周囲の声も聞かずに全ての畑でその芋のみを栽培するよう村人に命じ、しかし芋はここの気候にあわず病気にかかり、畑をまたいでたちまち蔓延してしまった。作物は壊滅状態となったが、ブランドンは容赦なく村人から税をしぼり取った。そのせいで多くの村人が飢え苦しみ、冬を乗り越えられず年寄りや赤子といった弱い者達からばたばたと死んでいった。事の重大さにようやく気づいた時、ブランドンがしたことは、全ての責任に知らぬ顔を決め込んで都会へと逃げ帰ることだった。伯爵家が食糧庫をあけてくれたのは春も間近に迫った頃、噂を聞きつけた新伯爵の弟が見るに見かねたからであった。幸運にも弟のイアンは大学で農業を学んでおり、疲弊しきった村人達を束ね、励まし、荒廃した村の畑をたった一年で立て直してくれた。飢えのために農耕用の牛や馬をつぶしてしまった村人達のために、近隣の領主に頭を下げて馬を借りうけ、そのために私財の一部を手放したとも言われている。

 それなのに村の収穫物の税は、今でもブランドンに納められているのである。

 どうしてこんなにも理不尽なことがまかり通る世の中なのだろう。
 今年の報告と来年の計画をイアン様と相談するため伯爵家を訪れていた俺は、やりきれない思いでお屋敷を出た。そこで聞き覚えのある声で「ティエリー」と呼ばれ、はっとなって振り返ると、セエラが立っていた。セエラは俺と目が合うとにっこりと微笑み、スカートの裾をふんわりと揺らしながら駆け寄ってきた。二年ぶりに見るセエラは俺が見知っている田舎娘ではなく、一瞬目を疑うほど華やかな姿に変わっていて、驚いた。
「お久しぶり。どう、畑の方は?」俺の服の袖をつかんだセエラの手が柔らかい。
「豊作とまではいかないけれど、まあまあってとこかな。そっちの方こそ、どうなんだよ」
 血色のよいふっくらとした顔を見れば訊かないまでもなかった。「ずいぶんと見違えたな」見たままのことが口をついて出てきた。セエラは頬を染めてはにかんだ。褒められてまんざらでもない、というところだろうか。
「奉公先の旦那さまがお優しい方で、とってもよくしてくださるの。なんの当てもなく町に出た時は、それこそのたれ死ぬ覚悟だったけど……、私は運がよかったわ」
 印象ががらりと変わったセエラだったが喋るとやはり訛りがある。そのことに俺は内心ほっとしてしまった。町の大きなお屋敷に勤めるからには、身なりもそれなりにしておかなければならないのだろう。もともとセエラは綺麗な娘だったから、小奇麗なドレスがセエラの美しさを際立たせているのだ。
「そうだなよな、みんな同じだけ苦しんだんだよな」
「そうね、大変だったわ……」
 しみじみとそう言うセエラに引きづられるように、この二年間のことが次々に思い出された。口減らしのためセエラのように仕事を求めて村を出ていったたくさんの仲間達、その中には未だに消息不明の奴だっている。村に残った俺達だって、畑を懸命にたがやして種をまき、それらが実を結ぶまでの気の遠くなるような長い月日を草の根すら食べて糊口をしのいだのだ。
「おまえの母さんも弟達も、みんな元気だったろ? 二年ぶりにおまえの顔が見れて喜んだんじゃないか?」
「うん。私が突然帰ってきたもんだからみんなビックリしてたわ。手紙も出せなかったから尚更かな」
 セエラは喋るほどに元の田舎娘に戻っていくようだった。最初に感じてしまった妙な隔たりが俺の中で急速に薄れていった。それが完全に消えるまで、それほど時間は要しなかった。セエラはやはりセエラだと改めて受け入れられた時、俺は自然に話を切り出していた。
「ここへはいつ戻ってくるつもりなんだい?」
 するとセエラは驚いた顔で俺を見返してきた。なぜそんな顔をするのだろう。心で引っかかりながらも俺は話を続けた。
「俺もようやく元の生活が取り戻せるようになったんだ。イアン様がここを管理していてくれる限り、この先もきっと大丈夫だと思う。だからさ、おまえ一人くらい、いつでも養っていけるぞ」
 もちろん贅沢は出来ないけどな、と最後に付け加えた。プロポーズだった。俺とセエラは以前から結婚の約束をしていた仲だった。そろそろ結婚という時にあいつが村に現れ、それどころじゃなくなってしまったのである。二年越しのプロポーズだったがやはり照れくさく、俺はなかなかセエラの顔を見ることが出来なかった。ようやく顔を上げると、セエラは今にも卒倒しそうなほど顔を蒼白させていた。そんな表情など想像もしていなかった俺はセエラの反応に眉をひそめた。
「……なんだよ、戻ってくるんだろう?」 
「ど、どうかしら」セエラはしどろもどろになり「ここに戻ってきても、私は大した役にもたてないし」歯切れも悪く言った。
 俺は驚いた。セエラは村に戻るつもりではなかったというのか。しかしここへ戻ってこなかったら結婚なんて出来ないだろうに。もしかして結婚後も向こうで働くつもりだったのか……? 色々なことを考えているうちに、ある一つの可能性に思い当たってしまい、俺の心にセエラに対する不信感が芽生えだした。俺はセエラのことを慎重にうかがってみた。
「おまえ、なんで今回帰ってきたんだ?」自然と口調が厳しくなった。心なしかセエラがびくりと肩を震わせたように見えた。
「そんなに都会がいいなら、ずっと向こうにいればよかったじゃないか」
 否定してほしかったのに、セエラは黙ったままうつむいてしまった。カールした髪がさらりと肩口から落ち、それが妙に艶かしく見え、まるでセエラが立つそこだけが切り取ったかのようだった。それが俺の苛立ちに拍車をかけた。
「これ見よがしにチャラチャラした服着やがって、みんなを嘲笑いに来たんじゃないだろうな?」 
 激昂に任せてセエラをなじると、うつむいていたセエラがきっとなって睨み返してきた。
「そんな言い方はないでしょう。あたしは好きでここを出て行ったんじゃないわ。あ、あたしは、二年前のあの日、あんたが結婚しようって言ってくれてたら、喜んであんたの奥さんになってたわ。それなのにあんたは私との結婚をやめようって言ったのよ」そんなことを急に言い出したのだ。あまりに唐突だったので俺は面食らってしまった。
「結婚しようにもあの時は苦しくて――」
「あんたと一緒だったら、どんな苦労も我慢できたわよ。あたしはあんたのお嫁さんになるのが夢だったから、あんたに断られて、打ちのめされて……、あたしは身も心もボロボロな状態でここを出て行ったのよ」
「俺は別におまえとの結婚を断ったわけじゃ」
「あたしを拒んだじゃないの!」
 セエラはヒステリックに叫ぶと、わっと泣き出した。結婚なんて無理だ、諦めよう。確かに俺はそう言った。が――
「俺はおまえを拒んだ覚えはないし、セエラと一緒になりたい気持ちは変わってない。おまえの誤解だよ」
「そんなこと今更言われたって――」
 セエラは絶望的に言って肩を震わせた。俺はセエラをなぐさめようとしたが、セエラは手で払って俺のことを拒絶した。
「遅いのよ。この二年間、あたしはあんたのことを吹っ切るために、がむしゃらに働いてきたし、新しい環境に慣れるために必死で暮らしてきたのよ。二年前になんか戻れないわ」
 戻りたくなんかねえよ。俺は思わず叫ぼうとして、飲み込んだ。なぜ二年前だったらよくて、今はダメなんだ?
「いいか。おまえも知っての通り、あの時は生きていけるのかどうかもわからない状態だったろ。結婚なんてもっての他だったじゃないか」
 しかし俺がなんと言っても、セエラは涙をはらはらとこぼしながら今更結婚なんて考えられないとの一点張りだった。どうしてだと迫ろうとした俺の目にセエラの姿が改めて飛び込んできた。いや鮮明に映し出された。よごれていない服、くしけずられた髪、つややかな頬、唇、あかぎれていない手先。奉公先でセエラに与えられた仕事とは……
 なんだよ、そういうことかよ。
「――ようするに、おまえは贅沢に慣れちまって、今更こんな田舎で暮らしたくないんだろ? いや、違うな、おまえには町にパトロンがいるんだ。奉公先の主か? そこに出入りしている貴族の腰抜けか? この恥知らずめ」
 弾かれたように俺を見返したセエラの眼差しが失望感に満たされていた。「なんでそういう言い方するのよ……」
 しかし俺の言ったことに少なからず心当たりがあったのだろうと思う。不思議なもので、ついさっきまで眩しいほどだったセエラの美しさが、今は逆に下劣さを象徴するものでしかなくなった。俺は裏切られたのだ。悔しさで泣きたくなってきた。
「一日も早く町に帰ることだな。もう二度と、俺の前に姿を現さないでくれ」
 俺はセエラを視界の外に追いやると、足早にその場を立ち去った。

 何日間か過ぎた。その日は夜になって風が出はじめ、古びてささくれた木戸がガタガタとないた。耳障りな風音も、昼間の疲れで神経が鈍った俺の耳にはとどまらずに流れていく。そうしてうつらうつらしていると、突如、ことん、という異質な音が混じり、俺は目を開けた。誰か来たのだろうか。木戸を細く開けて外をのぞいてみると、人の姿はどこにもなく、かわりに足元にたくさんの木の実が置かれていた。とっさに頭をよぎったのは星の実のことだった。セエラだ。確信に近い自信で俺はそう思った。これを割れっていうのだろうか? この歳になって木の実割りもないだろうに。あまりの滑稽さに笑い飛ばしたくなった。そもそもセエラが集めたものに手を触れる気にもなれない。だから俺は木の実をそのままにしておいた。次の日、木の実に気づいた子供達が、目をキラキラさせながらもらってもいいかなどと訊ねてきた。俺は好きなだけ持っていけと言って、木の実もろとも子供をおっぱらった。子供達は一粒残らずに持っていったようだ。ほっとしたのもつかの間、翌日になると再び同じ場所に木の実が置かれていた。俺は昨日以上に驚いた。もし酷いことを言った俺への嫌がらせのつもりなら、もっと違う方法があるだろう。
 木の実が置かれ、それを子供達が持ち去っていく。こんないたちごっこのようなことがその後三日間も続けられた。さすがに気味悪くなった俺は、村の者からそれとなくセエラの動向をさぐってみた。セエラは明日、町に帰るそうだ。それでは今晩が最後かもしれない。今夜、もしセエラをつかまえられたら、木の実を置きつづけた理由を問いただそう。俺はその夜、物音ひとつ聞き漏らさぬよう耳を澄ましてセエラを待ち構えた。その俺をあざわらうかのようにやけに強い風が木戸を叩きだした。ほんの一瞬うたた寝をしたつもりが、気がつくと風が止んでおり、寝入ってしまったことを知った俺はあわてて外へと出たが、既に遅く、木の実は山と置かれた後だった。なんだか気が抜けてしまい、俺はしばらく呆然と足元の木の実を見つめていた。木の実を拾い集めたのは無意識のうちだった。クヌギ、コナラ、ミズナラ、シイ、アカガシ……。ころんとした感触は手の平に懐かしい。森に行けば木の実が地を覆っているだろうが、それでもこんなに集めるのは大変だったはずだ。バカなやつだ。集めた木の実をハギレに包むと、俺は家の裏手にある撒き割り場へと行った。切り株の上に木の実を広げ、槌で一粒叩き割った。すると、なんということだろうか、木の実の裂け目から弾けるように小さな光の粒が飛び出してきたのである。光は真っ直ぐな軌跡を描き、夜空へ吸い込まれるように消えた。何が起こったのか、あまりの出来事に俺は思考を失った。あれほどはっきりと目にしたにもかかわらず、錯覚ではなかっただろうかと思えた。それほど信じられない出来事だった。ごくりとのどが鳴る音で我に返り、俺は震える手で再び木の実を割った。そして木の実からは再び光が飛び出してきたのである。
 ほ、星の実だ。驚きというよりは言いようのない畏れに襲われ、槌を持つ手の震えが大きくなった。だって星の実なのだ。これまで数え切れないほど期待に胸を膨らませては、決まって夢に終わってきた星の実。見つけた者などきっと誰もいないのに、それでも嘘っぱちの御伽噺と笑い飛ばすことなどできなかった。空からこぼれた星が、森の中に落ちて木の実の中に姿を隠す。俺は言い伝えを頭の中で反芻した。星の実を見つけた者は――
 そういえば、その後はどうなるのだろうか? いくら思い返してみても、星の実を見つけた後の話は聞いたことがなかった。俺が忘れているだけか、それとも元々その後の話など無いのか。滅多に見つけられないものを見つけたのだから、その後に続く物語はきっと良いものに決まっている。だとしたら、俺にとって良いこととは何なのだろう。俺はみたび木の実を割ってみることにした。不思議なことだが、次もきっと星の実だろうという妙な自信があり、果たしてその通りとなったのである。次も、次も、その次も、手に取った木の実は面白いほど星を生みだした。星は青白く光る鱗粉を瞬かせながら空へと還っていった。その様子はとてつもなく綺麗で、まるで現実味が無く夢を見ているようだった。だか張り裂けそうな胸の痛みは現実的だった。綺麗だ、とても綺麗だ。俺は言葉をあまり知らないから、それしか言えないのがもどかしい。光が光を生み、辺りが光であふれだした。光は今や空であり地であった。まるで光の海の中へ沈んでしまったかのようだ。そして俺はある光景をそこで垣間見たのである。俺と、セエラと、そして三人の子供が、食卓を囲んでいた。テーブルに並べられたものはどれも質素なものだが、とても温かそうだった。あれは、俺の、未来なのか? いや……、あれは子供の頃に思い描いていた俺の夢だ。思えば子供の頃は花が咲き誇るように幸せだった。しかし、なぜだろう。同じ土地で同じ空気を吸いながら、あの頃と今とでは世界がまるで違って見える。今は何もかもが色あせて、俺の周りで凝り固まるもので、俺は身動きが取れなくて、息苦しい。なぜだ? 俺は何のために生きているのだろう。芋を育てるためか? 芋を育てるのは日々の糧のためだ。俺が生きるために必要だからだ。では子供の頃、俺は何のために生きていた? 幼いセエラや他の仲間と毎日毎日野原や森を駆け回っては牛や山羊にいたずらをして、即興の唄をこしらえては歌い、木の実を拾い割る日々……。意味なんてない。それでも幸せでいられた。そうだ、楽しかったから幸せだったんだ。全ては二年前、ろくでなしのブランドンがこの村に帰ってきたことから変わってしまったんだ。なぜ伯爵家を継いだのがイアン様ではなかったのだろう。
 星の実からあふれだす光が目に痛く突き刺さる。熱いものが頬を伝うのが感じられた。何かから目をそらすように俺は両手で顔をおおった。目の前に広がる現実に希望を持つことなんて出来やしない。俺はここを離れ、他の土地へ行くべきなのだろうか。何をしに? 自分が今何をすべきなのか。何が一番最良の道なのか。わからない。わからないことだらけだ。それでも明日目覚めれば、容赦のない一日のはじまりが訪れ、俺は生活のために畑へと出る。この先も延々と続くであろう同じような毎日が、くりかえしくりかえし俺を手招きする。ああ、ああ……、ああ………、
 俺は、おぼれそうなほどの思考を振り払い、涙をぬぐいながら槌を振り下ろした。次々に割られる木の実から飛び出す星達。飛び出しては輝いて、俺の頭上に光を降り注いだ。青白く澄んだ光はスパークして粒子となり光の霧を作り洪水をおこし、それは俺の存在なんか散り散りに砕いてしまうほど圧倒的であり、俺は打ちのめされていた。こんなにも美しいものを、自分ひとりが見ている。なんてもったいないことだろう。
 おい、すごいぞ、星の実が見つかったぞ。うわあ、すげえなあ。本当にあるんだなあ。すごいね、きれいだね、一生忘れないでいようね。しかし俺は大人になりすぎて誰かを呼びにもいけずにいる。
 最後の一つを割り終えた時、あわせたように涙も枯れはてた。目や鼻の奥、顔の全てが腫れ上がってしまったかのようだ。そして、心まで空っぽに枯れはてた。脳がしびれて何も思えない。それが心地よい。何もかもがどうでもよく、その空虚さがとても心地よかった。はじめて感じるそれに俺はしばらく酔いしれた。ああ……。我しれず口から転げ落ちたため息は、深く、深く、ただ深かった。その時、ふと耳に、記憶にのみ残された遠い日の無邪気な笑い声が聞こえたような気がして、またたくまに心が過去へ飛んだ。そうなって、ようやく、この実をかき集めてくれた少女のことを想うことが出来た。憎いのか、いとおしいのか、あるいは両方なのか、それさえもまだわからない。静寂が耳を打つ。空気と時間がやけにやさしく自分を包み込んでくれている。そんな不可思議な感覚だった。俺は天を振り仰いだ。夜に沈む世界は全てが闇に溶けていたが、今宵生まれた星と共にあまたの星々を懐にいだいた空は、ばかに騒々しい。ああ、セエラ……
 かつてこの地ですばらしい日々を共に暮らした君へ。
 
 きっと幸せを見つけられますように。


H-08  星の実
Aブロック  Bブロック  Cブロック  Dブロック  Eブロック  Fブロック  Gブロック  Hブロック
index  掲示板




inserted by FC2 system