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H-10  ツインズ

 病室の窓から空を見上げる。青空は深く澄み、どこまでも広がっている。わたあめのように浮かぶ雲の、なんと白いことか。
 今、私は生きている。それがどれほど尊く、喜ばしいことか、生命の危機を経て今はじめてわかった。
 それと同時に、一点の染みが私の心をかき乱す。私は今、生きている――けれど半身はもういない。
 生まれてからずっと傍らにあった大切な同胞。彼女を失って私が残ったのは、運命でも星の導きでもなく、不幸な事件の結果に過ぎないと、そう必死で思おうとしている。
 だって、この結末が運命だったなんて、そんな運命はあまりにも残酷すぎるから――。



 彼女、相沢鈴(すず)と私とは、生まれた時からずっと一緒だった。だからといって、双子ではない。同じ産院で同じ日の朝、ほぼ同じ時間に生まれた幼馴染、それが私と相沢鈴の関係だ。
 占星学的双子。私たちをそう呼ぶ人もいた。
 1988年10月7日。4時45分に生まれたのが私で、48分に生まれたのが鈴。3分違いで生まれた私たちは、まさしく同じ星の下に生まれた、双子以上に近しい運命を持っているのだという。
 確かに、はしかも水疱瘡も、一緒に患って一緒に治った。初恋の人も同じ、近所に住むお兄さんだった。
 私の両親が離婚した半年後、鈴の両親もまた袂を別けた。
 ここまでそっくりな人生を、気味が悪いと言った人もいた。けれど私たちは、そんな関係がいとおしくて、わざとお互いに合わせたりもした。同じ高校に進学したのもその好例だ。
 このまま同じ大学に進んで、同じ仕事に就き、結婚してもなお近所に住んで、いつまでも一緒にいると、そう信じていた。
 その歯車が狂い始めたのは、いつ頃からだっただろうか。



「倫(りん)……どうしよう。このままじゃわたし、一緒の大学に入れない」
 受験を控えた秋、学校帰りに立ち寄った喫茶店で、鈴が深刻な顔で切り出した。
「どうしたの、いきなり」
「これ、見てよ」
 手渡されたのは、今日返って来た全国模試の結果。目だけで問うと、開けて見て、というように鈴が頷いた。
 居並ぶB判定の文字。B判定ならまだまだ合格圏内だ。今からならまだ間に合う。
「なにもそこまで悲愴にならなくても。まだ大丈夫じゃん」
「……本当に全部見た?」
 もう一度模試結果に目を落とせば、確かに一つだけB以外の文字があった。
 E判定。
「一つくらいEだからって――って、えぇ!? これ、第一志望のK大じゃない!?」
「そーなのよっ! どうしよう倫――!」
「どうしていきなり!? 前回までC判定だったじゃない!?」
 鈴とはいつも一緒だ。だから、彼女が私と同じくらい勉強していたのはよくわかっている。私の判定が上がって、鈴が下がるなんて、信じられない。
「きっとこれは、機械の間違いだって! ね!」
「そんなわけないじゃん……」
「暗くなるな! 鈴! これから挽回できるって!」
 必死に鈴を慰めながらも、私自身、内心は不安で一杯だった。
 今まで同じ道を歩んできたのに、そしてこれからも同じでいようと約束したのに、もし鈴だけが受験に失敗したら?
 これまで考えもしなかったのに、急にそんな心配が巣食い始めた。
 ううん、なに考えてるの私! こんな時こそ私が鈴を元気付けなきゃいけないのに!
「倫……もしもわたしが落ちたら――」
「はい! 考えるの止め! そんなこと心配してる暇があったら、今はとにかく勉強しなきゃ! そうでしょ!?」
「う……は、はい」



 それから私たちは、がむしゃらに勉強した。時にはお互いの家に泊まりこむこともあった。
 冬休み? そんなもの、今の私たちに構っている暇はない。唯一必要だとすれば、それは神頼みの時間だけだ。私も鈴もそれほど信心深くはなかったけど。
「うん、これならいけるんじゃないのか」
 学年末試験の結果を見て、担任が頷く。私も鈴も、手を取り合って喜んだ。
「先生、本当!?」
「おいおい、だからって安心して、さぼるんじゃないぞー」
「はぁーい!」
 その夜、私たちはささやかながらも祝杯をあげた。もちろん、お酒じゃない。コカ・コーラの缶をビールよろしくコツンとぶつけて、喉に流し込む。炭酸はそれほど得意じゃないけど、オレンジジュースじゃ格好がつかないから仕方ない。プルタブを開けたプシュッという音が、私たちの未来を明るく導いているような気がして、そうか、だから大人はシュワシュワのビールが好きなのかな、なんて思ったりした。ちょっとマヌケな音だけど。
「大人になったら……」
「ん?」
「これがコーラじゃなくて、ビールに変わるんだよね」
 呟いた鈴が、私と同じことを考えていたことは明白で。
「予行練習しとく?」
 茶目っ気を出して訊いてみたら、鈴はほんの少し笑って、二年後までお預け、って首を振った。

 ねぇ、鈴。私はずっと、信じてたよ?
 二年後の誕生日の朝に、二人で缶のプルタブ開けて、お預けになってたビールをぐびぐびっと喉に流し込んで、「大人になってもよろしく」って言い合うんだって。その時は二人とも大学二年になってて、お互いの彼氏なんて呼んじゃってもいいよね。
 私にとってそんな未来は、予定じゃなくて決定事項で、必然的に訪れるべきものだった。

 あの頃の鈴も、きっと同じ想いでいたんだよね……?



 運命の日がやってきた。
 一次選考合格発表の日。私たちの志望するK大経済学部は二次試験なんてないから、一か八かの、ううん、全か無かの大勝負だ。
 合格発表はインターネットでもやってるみたいだったけれど、家からK大まではたかだか電車で1時間の距離だ。やっぱり、貼り出された掲示に自分の番号を見つける、その喜びの瞬間を逃しちゃいけない。口から飛び出しそうにバクバクしてる心臓をなだめながら、私と鈴はK大の合格発表掲示場に向かった。
「どうしよう、倫。わたし、怖い」
「大丈夫だって、鈴」
 私だって怖い。
 逸る心とは裏腹に、足はもう家に逃げ帰ろうとしてる。心臓がオーバーヒートを起こして止まっちゃいそう。いっそのこと止まってくれれば、楽になるのに。
「〜〜〜〜! やっぱり駄目だ! 鈴、帰ろう!」
「え!? なに言ってるの倫!?」
「見たくない! 見れない! 目ぇ開けない!」
「りーん――!」
 校門へと一目散に走る私を、鈴が追いかける。突然追いかけっこを始めた私たちを、道行く人たちが奇異の目で見てるのがわかる。でも、そんなものに構っちゃいられない。
「倫、ストップ! ストップ!」
 鈴の腕が私を捕まえる。ようやく足を止めた私は、へなへなとその場にしゃがみこんだ。
「うわーん。やっぱ駄目だよぉ鈴〜!」
「倫……」
 気遣うように、鈴が私の肩に手を乗せる。が。次の瞬間、ぷっ、と鈴が噴き出したのだ!
「鈴!? なんで笑うの!?」
「ご、ごめん」
「ひどいっ」
 さっきまであんなに不安そうだった鈴はどこへ行ったんだ。
「だって……倫はいつも平然としてて、心配なんてどこにもなし! て感じで自信ありげだったのに。本当はわたしと同じくらい不安だったんだ、って知って、安心しちゃって……」
 私のどこをどう見たら自信満々に見えるんだ。
「さ、倫。発表見に行こ。手をつないでてあげるから」
 これじゃいつもとあべこべじゃない。
 でも、差し出された鈴の手が嬉しくて、私はつい握り返してしまった。
「……うん」
 人の流れに乗って、掲示場へと向かう。貼り出されたらしい、というざわめきと共に、周りのみんなが走り始める。私たちも頷き合って、駆け出した。
 合格発表掲示の前は、既にすごい人だかりだった。人の頭、頭、頭で、合格者の受験番号が下までよく見えない。
「倫、あった?」
「今探してるとこ」
 0703111504。0703111504。その10桁の数字を必死に探す。
 0703111498。0703111500。お願い、神様。
 0703111503。0703111504!!
「あった――!!」
「ほんと!? 倫!?」
「ほら、あそこ!」
「0703111504! 本当だ! おめでとう倫――!」
「ありがとう鈴――! で、鈴のは?」
 そう。私が受かっただけじゃ意味がないんだ。鈴も一緒じゃないと。
「まだ見つからないの」
「鈴の受験番号は……0703110002か」
 経済学部でも最初の方の番号だ。見つけるのは簡単そうなのに。
「経済学部の先頭は、と。あ」
 0703110004。何度目を凝らしても、070311番代の最初は0703110004。
「う、そ」
 鈴の番号は見つからないんじゃない。ないのだ。だけどそれを、鈴も私も納得できない。どこかにあるはずなのだ。鈴の番号が。0703110002番が。
「そうだ! きっと、補欠で受かってるんだよ」
 私立は入学辞退者が多い。名門のK大でもそれは同じこと。補欠合格でも、望みはつながっている。
「さ、行こう、鈴。鈴?」
 何度か促したけれど、鈴は動かない。まるで足に根が生えたみたいだ。
「倫、わたし」
「大丈夫。一緒に入学できるよ」
 できないはずがない。私たちは、同じ星の下に生まれた占星学的双子なんだもん。生まれた日が同じなら、死ぬ日も一緒。そうでしょ? それなら、通る道筋だって、きっと同じはず。
「補欠合格、見に行こう?」
 泣き出しそうな顔をした鈴は、それでも小さく頷いた。



「待って、鈴!」
 必死になって鈴の背中を追いかける。いつもならちょっと速度を緩めて振り返り、いたずらっぽく微笑んでくれるはずの鈴が、私の叫びを無視して走り続ける。私の足では、鈴の背中に追いつけない。
「鈴!」
 鈴の足が付属チャペルの鐘楼に向かっている。なにを考えてるんだあの子は!
「鈴! 待ちなさい!」
 鈴が階段を駆け上る。私は、間に合うのだろうか。
「鈴!」
 鐘楼窓に鈴が身を乗り出している。その背中が儚くて、でも恐ろしくて、私は容易に声をかけられなかった。
「鈴。一緒に帰ろう?」
 一瞬の間。鈴の口から笑みが漏れる。嘲るような笑みが。
 こんな鈴は知らない。こんなの鈴じゃない。
「一緒に? どうして?」
「どうしてって、今までだってずっとそうしてきたんじゃない」
 鈴がようやく私の方を向いた。その顔は泣きそうで。それでも必死に私を拒絶していた。
 そう、拒絶。
「倫、わからない? わたしたちの道は、分かたれたんだよ」
 結局、鈴の番号は補欠合格者の中にもなかった。でも、だからといって、鈴と一緒の大学へ通う夢を諦めてはいない。この広い東京に、大学はごまんとある。第一志望は確かにK大だけど、鈴が一緒でないのなら、こだわる理由はどこにもない。
「鈴、一緒にA大に行こう?」
 鈴の表情が、わずかに動いた。
「なに、言ってるの?」
「A大なら二人ともセンター方式で受かってる。だから、ね?」
「でも、倫が橋田先輩と離れ離れに」
「それがどうしたの」
 憧れの先輩と鈴と、私がどちらをとるかもわからないの? このお嬢さんは。
「私にとっては、鈴のほうが大事」
 鈴がすがるような目で私を見る。
「本当に?」
「本当に」
 だから、安心して。
 伸ばした私の手を、鈴がそっと握る。さっきとは逆のパターン。そして、いつもと同じ安定形。
「倫」
「ん?」
「それなら、わたしと一緒に死んで?」
 鈴の腕が私を引き寄せる。え、と思う暇もなかった。
 ひっくり返る天と地。耳元で唸る轟音。
 意識を手放す寸前、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。



 目を開くと、涙に濡れた母の顔があった。
「倫!」
 頭が痛い。身体が重い。ここはどこ。
「私……?」
「倫、良かった! 無事で――!」
 無事? なに、どうして泣いてるの、お母さん?
 起き上がろうとすると、身体中が悲鳴を上げた。
「――っ」
「まだ無理をしちゃ駄目だ」
 その声に驚いて母の背後に目を転じると、何年も前に家を出たはずの父の姿があった。
 私の視線に気づいた父が、照れくさそうに頭を掻く。
「母さんから連絡があったんだよ。倫が飛び降りたって。何があったんだ一体。K大には合格したんじゃないのか」
 父の一言で、全てを思い出した。
 ものすごい力で引っ張る、鈴の腕。見上げる地面。必死にしがみついた、鈴の細い身体。頬にあたる鈴の涙。そして……訪れた衝撃と、柔らかな感触。
「鈴、は?」
 父と母が同時に目をそらす。嫌な予感が、した。
「無事なの?」
 同じ日の同じ場所で生まれた占星学的双子。
「鈴ちゃんはね」
 私が助かったのならば、鈴も無事のはず。
「昨日、お葬式が終わったわ」
 ――死ぬまで一緒って、約束したよね?



 そして鈴は自ら命を絶ち、私は生き残った。
 あの高さから落下して、なぜ無事だったのか私にもわからない。けれど、最後に感じた柔らかな感触は、鈴が私をかばってくれた証だと思えてならない。
 同じ日の同じ場所、ほぼ同じ時刻に生まれた占星学的双子。たった3分の出生の違いが、私と鈴の運命を大きく分けたのか? わずか18で鈴が死に、私が生き残るのが、私たちの運命だったのか?
 そんなこと、私は信じない。
 これは単なる結果で、運命でも、星の導きでもない。私たちの運命は、共にあったはずなのだから。
 願わくば、生まれ変わった後も同じ運命を歩みたい。
 青空の向こう側で、頷く鈴の顔が見えた気がした。


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